立教大学体育会応援団
令和二年度 第八十九代幹部
応援団小史
大正の初頭、学生スポーツ、特に野球が盛んになり、我が立教大学も大正10年の秋季リーグ戦から大学野球連盟に加盟した。そのため、それまで特になかった校歌、応援歌が試合の応援に於いて必要となり、当時の杉浦貞二郎学長が作詞し、東京音楽学校の島崎赤太郎教授に作曲を依頼してできたのが現在の校歌である。
昭和6年、リーグ戦初優勝を機に、応援に来る学生を統率していこうと、当時柔道部の根本享有氏ら体育会各部の有志が集まり立教大学体育会応援団が創設されたのである。
現在ではリーダー部、吹奏楽部、チアリーディング部の三部から組織され、部員も80名を数える大所帯となっている。応援団には、他の体育会各部に見られるような輝かしい記録はない。
ひたすら母校の勝利のため、応援を行う陰の力である。しかし、そこには厳しさがあり、礼儀、節度、闘志の三原則をモットーに強健な身体と精神を鍛える為、日夜努力を重ねているのである。
団旗、スクールカラーの由来
紫紺地に白色の十字架と金色の「立」が描かれている現在の団旗の基となっている校旗は、大正13年に当時の学院総理・ライフスナイダー師と杉浦貞二郎学長の下で立案、制定された物である。
この校旗は、大正7年に本学が築地から池袋へ移転するのを機会に、ライフスナイダー師が建学の精神を具体的に表現する物として定めた盾のマークに由来している。この盾のマークには十字架と聖書がデザインされ、紫・白・金の三色が配されている。紫は王の色、白は清純の象徴で、白色の十字架はキリストの如き純潔を獲得する為である。
そして神の言葉である聖書が生涯の教科書として全ての中心に置かれている。金文字の「立」には真正の価値と崇高な品性とを獲得するため、との願いが込められている。
バッジの由来
立教の紋章「紫の盾」は紫色の盾の台に白色の十字架が浮き出し、その中心に開かれた聖書が置かれ、PRO DEO ET PATRIAの文字が刻まれている。さらに十字架の上部には「立」の金文字が輝いている、紫は王者の色、白は純潔を示し、金は真正の価値を象徴するもので、母校の栄光とその掲げる理想とを発揮するようにとの願いが込められている。
正部員バッヂの由来は明らかではないが、昭和10年代初頭にはすでに現在の形が使われていた。しかし、戦前は幹部のみが付け、下級生は学生服の襟に小さなバッヂを付けていたらしい。当校のバッヂは、銅地に銀色の十字架と肩に百合のマーク、右下に立大応援団の文字を浮き出している。
十字架はイエス=キリストとその愛が常に我らと共にある事を示し、父と子と精霊との交わりを表す百合のマークは部員の団結を、銅地は地の塩としての応援団の立場と、どんな状況に於いても変わらない母校愛を示している。